「―――ここまで、しなくても・・・・。なあ・・・」
「うん。大丈夫、そんなに強くは締めないからさ」
「いや、そういう問題じゃなく・・・・」
司はカシミヤのマフラーで、後ろ手に姫宮の腕を縛っているのだ。
姫宮は困惑しながらも、結局は大人しく司のいうことをきいている。
元々押しが強い上に、目的達成のためには手段を選ばず、泣いたり同情を引くことにもほとんど躊躇すら見せない司に、そうそう勝てる人間などはいない。
恐ろしいのは、それを無意識に本人がやってのけていることである。
悪意がない分無邪気であり、それだけに始末に負えないというところであろうか。
それは、もはや天性の小悪魔的才能といってもいい―――。
「よし。」
しっかりと縛り終えた司に満足気な笑いが走った。
―――これで、そう簡単には逃げられまい・・・・
しかも、絶対に殴られる心配もなくなったのだから、まさに司には願ったり叶ったりである。
嬉しさのあまり、司は顎の痛みすら忘れていた。
そして奥の部屋の寝室のドアを開けて、そこに据え付けられたツインベッドを指差して言った。
「じゃあ。そこに、座って・・・」
「えっ・・・なんで?ここでいいじゃないか」
姫宮の様子には「何故リビングじゃいけないんだ?」という不服がありありとうかがえたが、司は少しでも出口から姫宮を遠ざけたかった。
しかも寝室には、ご丁寧にもドアに鍵がついている、という至れり尽くせりぶりである。
「いいから。早く、ほら―――」
せっつくように、半ば強引に促された姫宮は、それ以上異議を唱えることも出来ずに従う。
「こっち・・・向いて」
ベッドの端に姫宮が腰を下ろすのを待ちかねたように司が言った。
姫宮は、躊躇いながらもおずおずと顔を上げる。
司は膝をついて、姫宮の顔に自分の顔を近づけていく・・・・。
あと3センチという所まで接近した瞬間、姫宮は突然顔を背けて叫んだ。
「やっぱ・・・だめだ!!」
「・・・・姫――」
「だって・・・俺たち、腹違いとはいえ兄弟だし・・・・。いや、その前に男同士だし・・・やっぱり、こういうことは間違ってるっていうか・・・―――」
「―――・・・・姫宮、でもさっきはいいって、言ったじゃないか・・・」
「―――ごめん・・・」
「ごめん、じゃないだろ。・・・・なんで、すぐに気が変わるんだよ?」
司は憮然とした表情で、姫宮の顔を見つめた。
「―――我慢できないって言ったら、どうする・・・姫宮?」
「―――・・・・」
「俺のこと、蹴り倒して逃げる・・・・?」
「―――・・・・」
「姫宮なら、可能かもね・・・。両腕を縛られてても、俺から逃げることくらいやってのけるだろうな?でも、ドアのロックは、はずせる・・・?」
「―――・・・」
「やってみる?」
姫宮は俯いたまま、首を左右に振った。
「・・・ごめん。・・・イヤなわけじゃないんだ―――でも・・・やっぱり、いけない―――」
「いけない?なにが!?・・・倫理に反するから?道徳に反するから?考えすぎだろ、そんなの。たかがキスだぜ?国によっちゃ、単なる挨拶だぜ?兄弟でキスしたら有罪にでもなるってのか・・・!?馬鹿馬鹿しいっ!」
「―――・・・司・・・怒るなよ・・・悪かった」
膨れッ面になって取り乱す司はまるで幼い子供だった。そのうち暴れだして、ホテルの高価な置物に八つ当たりして壊しかねない勢いである。
黙ってその様子を見ていた姫宮も、このままでは収拾がつかないと思ったのか、とうとう折れた。
「・・・分かったよ。いいよ・・・それで気が済むんなら・・・」
「―――ほんとか?」
「ああ・・・」
司のキレ具合を見たら、そう言わないわけにはいかない。
けれど、それが全て司の計算され尽くされた演技だと知ったならば、姫宮はいったいどんな反応を示すだろうか・・・。
姫宮がいざとなったら拒むかもしれない、ということくらいはとうに司の計算のうちである、今更それくらいで本気でキレる必要などない。
ここで重要なのは、「全てお互いの同意の上でやったこと」という揺るがない既成事実を作ることである。
身体の自由を半分奪った今ならば、確かに押し倒して無理やりキスをすることは簡単である、しかし、そんな安易で軽率な行動に出たが最後、今度こそ死ぬまで嫌われることになるだろう。
勢いに任せて突っ走っても、姫宮には拒絶されるだけだということは分かっている―――。
しかし、ここにきて司は漸く、長く苦しく真っ暗だったトンネルに、少しだけ希望の光を見出してもいた。
姫宮は「何が何でも絶対にキスしたくない」とは言っていないのだ。
それどころか、「いやなわけじゃない」とまで言っている。
これはほんの数時間前から考えたらまさに驚くべき飛躍的な進歩である。
to be continued....